学生時代、イーグルスのホテル・カリフォルニアが流行り、ロスアンゼルスにあこがれていました。
大学時代、ハワイへ行くチャンスがあり、それからはハワイへよく行きましたが、
LAのはそのすぐ向こうなのに、行けずにいました。
20代半ば頃、運転免許はあったものの、ペーパードライバーで、
LAは運転できないと地獄と言うことで、お金を出して、弟を連れ出し、ついに弟とLAデビューを果たしたのです。
その後、伊豆のゴルフ場でしばらく働いていたので、何とトランスミッションの車を与えられ、仕事の後、
そのコースで、プロにゴルフでは無く、車の運転を特訓され、ゴルフより運転がうまくなりました。
で、LAに行くようになりましたが、妹や友人と訪れ、レンタカーで、あの、カーチェースの様なフリーウエーを、
やばいことだらけで運転し、それでも奇跡的に無事故で、最終的には、一人で行くようになりました。
ホテル・カリフォルニアは、ビバリーヒルズホテルがモデルと言われ、当時、成功者が集う場所という設定でした。
しかしながら、その内容は、成功者の孤独とむなしさ、そして、ドラッグをにおわすような退廃的なものでした。
大学時代の友達を引っ張り出し、あのホテルに一泊だけしました。とても高額なので、それきりです。
あとはモーテルや、ロッジ。
今は一泊200ドルくらいのホテルなら泊まりますが、あそこは多分現在600ドルくらいかと・・・・。
コロナ時代に突入し、海外へ行けない今、国内での活動に切り替え頑張っていますが、若かった頃の自分が、
あの、ホテル・カリフォルニアと重なります。
究極の上昇志向と、どろどろに戦った時代はもう終わるのでしょうか?
一人でLAのホテルにいると、かつては孤独とむなしさを半ば楽しんでいましたが、最近は姪達に買うお土産のことで
頭が一杯です。
それでも、まだ心は渇いている。誰にも理解されないサンクチュアリがあって、それを思うとき、
私の視界には、カリフォルニアの光景が広がるのです。
ライバルを蹴落とし、クライアントに媚び、脚光をあびる。
心はティファニー・ツイステッド。思い出すために踊り、忘れるために踊るのです。